野見山暁治 パリ・キュリイ病院

 

パリ・キュリイ病院

パリ・キュリイ病院

 

 読了。図書館へ返す。

風景や物の描写が画家の視点なので興味深い。

なるほど、ああいう絵を描く人には、そういう風に見えているんだなという感じ。

 

入院していたのは主にユニベルシテ病院なのに、なぜかタイトルはキュリイ病院。

彼らの住まいに近いこと、先端のがん治療を行うので、ここに居させたかったという願いが込められているのか?

 

奥さんの名前は陽子。どうしたってアラーキーの亡くなった奥さんとも重なってしまう。

 

センチメンタルな旅・冬の旅

センチメンタルな旅・冬の旅

 

 

明恵 夢を生きる

 

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

 

 母のホームを訪ねる際に持つバッグに入れて、電車の中で少しずつ読んだ。

入居以来、心がふさぐ行き帰りだったが、気が向いたときに取りだして読んだこの本は、現実の生活とは別の次元へ私の意識を向けさせてくれた。

 

去年の夏にパリで、信頼する女性から明恵上人の「あるべきやうわ」について教えてもらったのがきっかけである。

 

読んでいる間はいま一つピンとこなかったけれど、読み終わって俯瞰してみると、明恵上人はストイックな生き方と思い詰め方が極まり、霊的な夢を見たのだということがよくわかる。

 河合隼雄の分析は、ちょっと大げさだし、思い入れがあり過ぎると思う。

 

「私は死ぬまでこのホームにいるのね。それが1年先なのか、2年先なのかわからないけれど」

とうとう母が自分からそう言った今日、私はこの本を読み終えた。

ハイレッド・センター:直接行動の軌跡展@松涛美術館

 

東京ミキサー計画―ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

東京ミキサー計画―ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

 

 自転車で松涛美術館へ。

 直接行動自体を保存して展示することはできないから、案内状や記録写真や行動に使用した作品などの展示。

復元できるものは部分的に復元して展示。

 行動に使った物の中では、中西夏之の≪コンパクト・オブジェ≫群が生々しかった。時計を埋め込んでいるものがいくつかあり、時間を封じ込めるという意図があったのかもしれないが、それよりも偶然紛れ込んだかのような当時のロッテチューイングガムのパッケージの方に止められた時を感じた。

 赤瀬川源平のグラフィックも、当時は斬新な色や構図だったのかもしれないけれど、今見ると何ともレトロ。

 でも、千円札事件懇談会・法廷における大博覧会6中西夏之≪洗濯バサミは攪拌行動を主張する)は、まさにパンクファッション。1966年であることに違和感を覚える。先取りし過ぎ!

通常願っても実現しないような場所で繰り広げられた大博覧会は、彼らにしてみればまさにしてやったりという思いだっただろう。

 ≪復讐の形態学≫の前で聖徳太子に扮する篠原有司男(キューティー&ボクサー!)に青年の発する匂いを感じた。

 「シェルター計画」人体展開図のオノ・ヨーコ、箱にして売り出せばいいのに。

 高松次郎のイケメンさに、ちょっとぼーっとなった。私は彼の「影」シリーズが好き。

 

私は1964年生まれ。私の両親は彼らの活動を知りはしなかっただろう。苦労して勉強をして必死に働き、郊外に家を建てて第一子が生まれるころ、同世代とはいえ前衛芸術家に興味はなかっただろう。

 

松涛美術館が改装したというので、へーどこが?と思いながら2階へあがったら、なんと喫茶がなくなっていた!ショック・・・。私はあのソファに深々と座ってコーヒーを飲むのが大好きだったのに!

 

 松涛を後にして、山手通りの急な下り坂をスキーのスピード感で下降したら、うっかり246の下をくぐってしまうところだった。

大橋ジャンクションの図書館で予約しておいた野見山暁治の「パリ・キュリイ病院」を借りて、ライフで買い物して帰宅。

すれ違う

 

 

 

東京の俳優

東京の俳優

 

 

 

茶沢通りは歩道が狭く、歩行者や他の自転車との行き交いに骨が折れるので、自転車のときは通りと並行した緑道を走る。

今日も緑道を走っていたら、なぜか無意識のうちに、いつもより一区画前の角で左に曲がり、茶沢通りに出てしまった。すると、案の定、右側にゆっくり歩く老婦人、その後ろには自転車に乗った男性がいた。自転車の男性は老婦人を追い越すわけにもいかず、二人とも私に道を譲るような形になった。はっと気付くと、その男性は柄本明で、トレードマークの赤い自転車に乗っていた。私は小さな声で「すみません」と言って、二人とすれ違った。

 

最近、続けて彼の出演する作品を見た。

足尾から来た女」の田中正造

「一枚のハガキ」の舅。

彼は存在自体が強烈なので、ちょっとした演技をするだけで過剰になるが、その過剰さが作品に厚みをもたらすような気がする。

 

一人芝居の「煙草の害について」(チェーホフ)や、二人芝居の「授業」(イヨネスコ)だと、舞台が彼の圧倒的な存在で満たされるので、相対的な関係性から生まれる過剰さは感じない。

スズナリで見たハムレットの墓掘り役では、短い出演時間に舞台の空気を変えた。他の役者たちが素人同然で逆によかったと思う。

 

あのとき私に角を曲がらせた、私の知らない、私の中の何かに、ちょっと感じ入っている。

ジャック・ドゥミのお墓

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アニエス・ヴァルダが演出・管理しているだけあって、スタイリッシュで雰囲気がよい。ヴァルダの名前も彫ってあるから、彼女もいずれは入る気満々なのだろう。

@モンパルナス墓地