すれ違う

 

 

 

東京の俳優

東京の俳優

 

 

 

茶沢通りは歩道が狭く、歩行者や他の自転車との行き交いに骨が折れるので、自転車のときは通りと並行した緑道を走る。

今日も緑道を走っていたら、なぜか無意識のうちに、いつもより一区画前の角で左に曲がり、茶沢通りに出てしまった。すると、案の定、右側にゆっくり歩く老婦人、その後ろには自転車に乗った男性がいた。自転車の男性は老婦人を追い越すわけにもいかず、二人とも私に道を譲るような形になった。はっと気付くと、その男性は柄本明で、トレードマークの赤い自転車に乗っていた。私は小さな声で「すみません」と言って、二人とすれ違った。

 

最近、続けて彼の出演する作品を見た。

足尾から来た女」の田中正造

「一枚のハガキ」の舅。

彼は存在自体が強烈なので、ちょっとした演技をするだけで過剰になるが、その過剰さが作品に厚みをもたらすような気がする。

 

一人芝居の「煙草の害について」(チェーホフ)や、二人芝居の「授業」(イヨネスコ)だと、舞台が彼の圧倒的な存在で満たされるので、相対的な関係性から生まれる過剰さは感じない。

スズナリで見たハムレットの墓掘り役では、短い出演時間に舞台の空気を変えた。他の役者たちが素人同然で逆によかったと思う。

 

あのとき私に角を曲がらせた、私の知らない、私の中の何かに、ちょっと感じ入っている。